2008/08/26 Tue [長年日記]
ぼくは勉強ができない
山田詠美さんの小説は放課後の音符(キーノート)以来です。「ぼくは勉強ができない」を読んだ後「放課後の音符」も短編集じゃなくて、雑誌連載の都合と言う縛りに寄らず、一つの小説だったんだなと考えを改めました。
もしも「ぼくは勉強ができない」を先に読んでいたら、主観が複数あるだけで「放課後の音符」は一つ話としてまとまっているし、主体で話を分ける物というのは思い込みでしかないと気付けたはずです。実際キーパーソンが特定の2-3人の様に分かりやすければ明確に連続していると感じられただろうと思います。
このように、人に寄って感じ方の違いがあったり、文脈に寄って違う受け取られ方をしたりと、物の価値は同じ物でも主体に寄って随分異なるという主張が「ぼくは勉強ができない」に込められてると思います。それは主人公の時田秀美の客観的で本質的で一見視野の広そうな物の見方も結局は自分の立場を主体とした物でしか無いからです。
この話に登場した人物はそれぞれの環境や立場があって優越感ゲームにいそしんだりしている訳だけど、現実には多数派であったり少数派であったりはする物の、考え方や振る舞いに正解は無くて、どちらかが間違っていたり愚かだったりといった違いではなく、それぞれが主体的に生きているというただその事実だけが主観次第という主張から得られるメッセージなんじゃないかなと。
誰が一番賢くお得に生きたかというのを定量化する難しさと無意味さみたいな物を学校教育を通して浮かび上がらせる、そんなお話です。
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